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2006年2月18日 (土)

「商品の巨大な集まり」という資本主義社会

仕事やら虫歯(苦笑)やらでバタバタしている間にだいぶ時間がたってしまいましたが、東京学習会議の『資本論』講座、いよいよ本論に入っております。1月下旬、2月、3月の3回の講師は鶴岡高専教授の山内清先生です(山形県からお越しいただいて、ありがたい限りです)。が! 2月12日の回は、本来出席できるはずだったのですが、仕事が入ってしまったために、残念ながら出席できませんでした_| ̄|○

前回紹介した『資本論』第1巻の序文で、“全てはじめは難しい”というのがありましたが、第1巻の冒頭、商品の分析から貨幣の発生の必然性にいたる部分は、とくに難しいとして“悪名”高く、ここでザセツしてしまう方が多いのです。その冒頭は、次の有名な言葉から始まります。

「資本主義的生産様式が支配している諸社会の富は、『商品の巨大な集まり』として現れ、個々の商品はその富の要素形態として現れる。それゆえ、われわれの研究は、商品の分析から始まる」(第1巻第1章第1節「商品の2つの要因」)

資本主義社会では、商品やら貨幣やら株式やらの“富”が、国内だけでなくそれこそ世界中を飛び回っています。これらは一体何物であるのかを分析し、突き詰めて考えていくと、これら“富”は、結局は商品であることが分かります。資本主義社会ではほとんどあらゆるものが商品、つまり市場で売買(貨幣と交換)するために生産されたものです。私たちの身の回りで、商品として生産されなかった物なんて、ほとんどないでしょ? そこでマルクスは、商品とは何であるのか、それがどのようにして社会の“富”を形作っているのかを論理的に追跡し、明らかにしていくわけです。

まず、資本主義社会を含め人類社会は労働によって生産物を生み、それを分配して、消費することで次の日の、次の年の、さらに次の世代の人類をつくり出していく(これを再生産といいます)わけですが、資本主義社会(さらに広くとらえれば「市場経済」、つまり商品生産社会)では、ただの生産物ではなく「商品」、つまり貨幣を媒介に他人と交換するための生産物として生産されています。この“謎”を解明するのが、冒頭の「商品論」といわれる部分なのです。

マルクスは商品を「使用価値」と「価値」との2つの性質をあわせ持った物として把握しました。「使用価値」は人間の何らかの欲求を満たす性質(有用性)を持った労働生産物ということで、有用性を持たない(何の役にも立たない)物は使用価値ではなく、商品にはなりません。「価値」は、ある使用価値が他の使用価値とある比率(例えば米1キロ=ノート5冊というように)で交換される(これを「交換価値」といいます)、ということに現れます。

こうした商品交換がある社会で一定の比率で行われる背景に、マルクスは「これらの商品は、人間の労働力が支出され凝固した労働生産物なのだ」という共通した性質があることを見て取りました。そして、商品の価値の大きさは、その労働の分量、つまり生産物をつくるのに社会的に必要とされる労働の継続時間(ですから「労働者がサボったり不熟練であるほど価値が大きいと考えたんだ」というのは全くの誤解です)によって決まると考えました。価値は貨幣(これ自体がある特殊な商品なのです⇒後述)によって「価格」として表現されます。まあ、ここではあくまでも最も抽象的な思考の段階での把握でして、資本主義的生産が発達した社会では商品の価格は生産価格(費用価格+平均利潤)として成立し、さらには独占利潤までも含めて価格が形成されるのですが、それらについて考察するためには、さまざまな“中間項”が必要になりますので、また別の機会に。

そして、商品が「使用価値」と「価値」という2つの性質をあわせ持つものだということは、商品を生産する労働(ここで注意する必要があるのは、労働一般ではなく、「商品を生産する労働」だということです)自体が二重の性質を持っていることから発生しているということです。その二重の性質とは、米とかノートとかいった具体的な使用価値をつくりだす「具体的な労働」と、人間の労働力一般の支出という「抽象的な労働」という性質です。したがって社会の生産力が上がれば同じ時間で、同じだけの労働力の支出で、より多くの使用価値を生産することができるわけで、商品1単位あたりの価値は下がることになります。

よく大学などで行われる経済学の講義で、「商品の価格は需要と供給のバランスで決まる」とか、「財の『効用』が商品の価値を決める」などといわれることがあります。確かに価格が需要と供給の関係によって変動する現象はあるわけですが、この考えでは、その「バランス」が一致した(あるいは平均化された)状態で商品の交換される割合(先ほどの例でいえば米1キロとノート5冊が釣り合い交換されるという比率)がどのように決まるかについて、説明できません。

また、「効用が価値を決める」という説明も、米とノートは効用が違うから交換されるわけで、質的に全く違う、また個々人の主観によっても変わってくる「効用」が、どのようにして市場で交換される客観的な比率として定着していくのかについて、説明できないわけです。これらの考え方では説明できないのは、結局、これらの考え方が商品の「使用価値」と「価値」という2つの性質を混同してしまっているからだといえるでしょう。

さて、マルクスは『資本論』でこのあと、「価値形態」「商品の物神性」「交換過程」について考察を進めていきます。12日の山内先生の講義は、ここの部分について行われたわけですが、冒頭のべた事情で、残念ながら欠席しました。このあたり、詰めて考えると結構面白いんだけどな……。かさねがさね残念です。

てわけなので、この部分の課題を一言で言い表した、マルクスの有名な言葉を紹介しておきます。

「一商品の等価形態はその商品の価値の大きさの量的規定を含んではいない。金が貨幣であり、それゆえ他の全ての商品と直接的に交換されうるものであることを知っても、それだからといって、例えば10ポンドの金の価値がどれだけであるかは分からない。……すでに17世紀の最後の2、30年間に貨幣分析の端緒はかなり進んでいて、貨幣が商品であるということが知られていたけれども、それはやはり端緒に過ぎなかった。困難は、貨幣が商品であることを理解する点にあるのではなく、どのようにして、なぜ、何によって、商品が貨幣であるのかを理解する点にある」(第2章「交換過程」)

あ、そうそう。この講座では参加者が班ごとに分かれて討論(短時間ですが)を行います。ワタクシ、この班の1つで司会を務めることになってしまいました。参加者の方に「腑に落ちた点」「疑問に感じた点」などについていろいろ出し合ってもらうのがお仕事なんですが、どうもこういうのって大昔からものすごーーーーく苦手なんですよね………_| ̄|○

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コメント

話が変わりますが、圏央道の判決が高裁でひっくり返りましたよ。

いまさら公共事業。。という感じがするのですが。まったく。

投稿: ばぶ | 2006年2月24日 (金) 午後 11時31分

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