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2006年6月 4日 (日)

生産過程の分析②

さて、東京学習会議『資本論講座』ですが、29日に、補講のお手伝いをしてきました。私はあくまでお手伝いで、メインの報告は別の方がされ、私はちょろっとコメントしただけなのですが。いつの間にやら月は変わり、11日には6月期の学習会です(私は仕事で欠席しますが)し、前回途中で打ち切った記事をいちおう完結させておかねば。(とはいえ、まさかこんなところを見ている受講者の方はまずいないでしょーがww)

で、続き。資本主義(資本制)的労働過程では、労働者は資本家に自分の労働力を販売し、資本家の指揮下で、資本家の生産手段を使って労働するわけですが、資本家はこの過程で、単に生産物(使用価値)を生産するだけでなく、交換価値を持つ(つまり商品市場で販売されうる)生産物、さらに販売によって「自分が前貸しした価値より大きい価値」(剰余価値)を得るために生産を行います。

【念のために、以前にも書いたことですが2つほど繰り返します。①ここで「価値を持つ」というのは、経済学の概念としての価値であって、日常語で「あの壷はいいものだ!」といわれるような意味での「価値がある」ではありません! 実は補講でも出された疑問なので………。それから、②“資本家の生産の目的は使用価値ではなく剰余価値である”というと、「ナットクいかねえ」と思う方がいるかもしれませんが、ここで考察の対象にしているのは、資本の客観的な運動であって、個々の資本家のアタマの中ではない、ということに注意が必要です】

ここで、資本家に販売した労働力商品自体が持っている価値(つまり労働者の生活費)さと、労働力の使用(労働)によって新たに生産される商品の価値とは、別のものです。したがって両者の大きさも、全く関係ありません(この両者を混同される方が時々見受けられます)。労働力商品を使用する時間(つまり労働者の労働時間)でつくられる価値が、労働力商品の価値と同じなら剰余価値は発生しませんが、それより大きければ、差額が剰余価値として、生産手段と労働力を所有する資本家のフトコロに入るわけです。(フトコロに入った剰余価値を、飲み食いなど個人的に消費しようが、蓄積して新たな投資の原資にしようが、それは資本家の自由です)

一つ任意の数字を使って具体例をあげます。一日の平均的生活費(労働力の価値)が8000円とします。1時間の労働力の使用(労働)で2000円の価値が生産されるとすると、一日の労働時間が4時間であれば、生産される価値は8000円ですから、剰余価値は生み出されないことになります。しかし、労働時間が8時間であれば、生産される価値は1万6000円ですから、差額の8000円が剰余価値になります。

マルクスは『資本論』第4章で、剰余価値が、等価交換であるはずの流通過程で実現されていることを指摘して、

「資本は、流通から発生するわけにはいかないし、同じく、流通から発生しないわけにもいかない。資本は、流通のなかで発生しなければならないと同時に、流通のなかで発生してはならないのである」

と問題提起しましたが(それについての記事はここ)、この問題に対する回答はここで与えられることになるのです。

「問題の全ての条件が解決されており、商品交換の法則は少しも損なわれていない。等価物同士が交換された。資本家は買い手として、それぞれの商品……にその価値通りに支払った。それから彼は、商品の他の買い手が誰でも行うことを、行った。彼はそれらの商品の使用価値を消費したのである」

「この全経過、すなわち彼の貨幣の資本への転化は、流通部面において行われるのであり、しかも流通部面において行われるのではない。流通の媒介によって行われる。なぜなら、商品市場における労働力の購買によって条件づけられているからである。流通において行われるのではない。なぜなら、流通は生産部面において起こる価値増殖過程を準備するだけだからである」

さて、この生産過程で生産物の価値がどのようにして形成されるのか、について考える場合、生産手段の価値はどうなるのか、について検討しておくことは欠かせない問題です。一言でいえば、生産手段(原材料や道具・機械類)の生産に必要な労働時間は、新しい生産物の生産に不可欠な一部分です。したがって、生産手段の生産過程は、新しい生産物の生産過程の一部分を形成するとみなすことができます。

また、生産手段は生産過程での使用されて、消費されることで、生産物を形成しますから、生産手段の価値は生産物に移転するわけです。この場合、原材料(燃料を含む)は一度に消費されて、これ自体は消失しますから、全部の価値を一度に生産物に移転します。これに対して労働手段(道具・機械や、容器・建物類)は、繰り返し生産過程で使用され、徐々に摩耗していきますから、労働手段の価値も、それにしたがって徐々に生産物に移転します。(これが簿記・会計に反映した概念が減価償却です)

『資本論』第1章で、商品が使用価値と価値との二重の性質を持つこととともに、商品を生産する労働も、使用価値を形成する「具体的有用的労働」と、価値を形成する「抽象的人間(的)労働」との二重の性質を持つことが明らかにされました。実はこの「労働の二重性」が、資本主義(資本制)的な労働過程での価値の移転と創造とに深くかかわっているのですね。詳しく述べるとこれ自体大変になるので、無理やり一言ですませますと、労働者の労働は、具体的有用労働としては新たな使用価値を形成することで、生産手段の持つ価値を新たな生産物に移転し、抽象的人間的労働としては新たな価値を形成する、ということです。

………とまあ、このようにして、労働過程の要素が生産物の価値形成で果たす役割を見てきたわけですが、これを通じて、資本の構成部分が果たす機能も特徴付けることができます。つまり、生産手段と労働力とは、資本家が前貸しした資本が労働過程で存在する形態に他ならないということです。ここで生産手段に投じられる資本は、生産過程で価値の大きさを変えないので「不変資本」(通常、「c」という記号で表示されます)といい、労働力に投じられる資本は、生産過程で価値の大きさを変えるので「可変資本」(同様に「v」で表示されます)といいます。資本を流通過程での流通のし方に着目して把握する概念で、「固定資本」「流動資本」というのがありますが、マルクスは生産過程での把握がその基礎になっていることを明らかにしたわけです。固定資本と流動資本は『資本論』第2巻で明らかにされますが、それについては、こちらをご覧ください。

資本主義(資本制)的な生産過程で、新たに生産された価値のうち、どれだけの部分が剰余価値(先ほどのc、vと同様に「m」で表示されます)であるかを「m/v」の比率で示したもの、正確には可変資本(労働力)の価値に対する剰余価値の比率ですが、これを、「剰余価値率」といいます。剰余価値は資本家に取られてしまう(これを「搾取」といいます)部分なので、「搾取率」とも呼ばれています。これはv相当分とmを生み出す労働時間の比率でも、また、それぞれの労働時間で生産された価値の比率でも表示できます。

このv相当分の価値を生産する「必要労働」時間と、剰余価値(m)を生産する「剰余労働」時間とが、労働者の総労働時間を構成しているのですが、1日分の労働時間の総合計を「労働日」といいます。

「必要労働と剰余労働との合計、すなわち労働者が彼の労働力の補填価値を生産する時間と、剰余価値を生産する時間との合計は、彼の労働時間の絶対的大きさ――労働日(working day)を形成する」(第7章「剰余価値率」)

これが次回以降の課題となり、資本主義的な搾取の具体的な姿について、マルクスは現代でもはっきり身につまされて分かるぐらいの叙述を行っているのですが、次回は残念ながら私は欠席となりますので、それについては後日、別の形で紹介することにします。

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コメント

【小泉】新聞テレビの世論操作を監視するスレ【19】
http://money4.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1148276683/l100
昨年の郵政解散以来新聞テレビは小泉政権広報機関と化してしまった感があります。
選挙期間中の偏向報道は記憶に新しいですね。
そして今新聞テレビはアヴェ氏をヨイショしまくっています。
上記スレはそんな偏向マスゴミを糾弾するスレです。
是非一度御覧くださりませ。

投稿: nanasi | 2006年6月 4日 (日) 午後 03時15分

こんな真面目な話の中にヲタネタをきちっと盛り込むサービス精神がステキパーツです。

投稿: kiddy | 2006年6月 5日 (月) 午前 12時22分

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受信: 2006年6月 9日 (金) 午前 12時55分

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