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2006年6月21日 (水)

「24時間タタカエマスカ?」

……なんていうドリンク剤のCMソングがバブル末期の90年ごろにありましたが、みなさん覚えておられるでしょうか? サヨな方々の間では、「そんなに働かされてたまるか」という批判が強くありましたが、イジョーな歌だったなあと改めて思いますねえ。

何で今ごろ、そんな一昔前の歌を持ち出してきたかというと、11日に開かれた東京学習会議の「資本論」6月期講座(私は残念ながら欠席したのですが)のレジメがこのほど、郵送されてきたんですよ。今回は第8章「労働日」と第9章「剰余価値の率と総量」という、労働時間をめぐる本格的な理論的・歴史的考察に入ってきたということで、書いてみたわけなのです。

実際、この問題は、マルクス以前の産業革命の時代から現代にいたる大問題です。とくに現代では歌にも出てくるような長時間労働や、労働させながら賃金を支払わない違法な「サービス残業」、さらには国際語にもなってしまっている「カローシ(過労死)」の問題があります。なかでも見過ごせないのは、日本経団連が導入を画策している「ホワイトカラー・エグゼンプション」(ホワイトカラーの労働時間規制を撤廃するもの=日本経団連の提言のPDFファイルはこちらで、それについての本ブログの記事はこっち)や、厚生労働省の審議会(分科会)で検討している「自律的労働時間」制度の創設などです。マルクスは『資本論』で、これらについて考えるうえで、きわめて重要な基礎を与えているんですね。

労働日とは、前回の末尾でもふれましたが、一日の労働時間をいい、必要労働時間(資本家が前貸し=購入した労働力の価値を補填するのに必要な労働時間)と剰余労働時間(資本家のための剰余価値を生産する労働時間)で構成されます。標準的な労働日はその時代や社会によって、さまざまな大きさを持っています。現代の日本では一日8時間、週40時間が標準的な労働時間です。フランスでは週35時間が標準ですが、最近は見直しの動きが出ているようです。

労働日の最小限界は必要労働時間ですが、もし剰余労働時間がなければ、資本家にとって、労働者の労働力商品を買って労働させる意味がありませんから、労働日がこの最小限界まで縮小されることは、特殊な事情を除けば、決してありません。一方、労働日の最大限界は、歌のまんまの一日24時間ですが、そのなかで2つの制限――①肉体的な制限(つまり肉体的な限界を超えては働けないわけです)と、②社会慣行上の制限(労働者も知的な、また社会的な欲求を満たすため、一定の時間を必要とします~~たまにはサッカー見たいでしょ?)を持っています。この2つの制限は弾力的で変動の幅が大きく、結局、労働時間はその範囲内で決まります。

では、労働時間は、具体的にはどのように決まるのか。労働力商品の買い手である資本家にとっては、せっかく自分が買った商品ですから、なるべく長時間使用し、より多くの剰余価値を手に入れたいわけです。一方、売り手である労働者にとっては、あまり長時間労働することになれば、自分の翌日(翌月、翌年)の労働力を再生産できませんから、一定の制限を求めるわけです。買い手と売り手、両者の主張は、ここでは全く同等・対等な権利の主張で、“筋が通った”ものです。では、どうやって決まるのか? マルクスは、次のように語りました。

「全く弾力的な諸制限を度外視すれば、商品交換の本性からは、労働日の限界、したがって剰余労働の限界は何ら生じない」(第8章「労働日」)
「ここでは、どちらも等しく商品交換の法則によって確認された権利対権利という一つの二律背反が生じる。同等な権利と権利との間では、強力がことを決する。こうして、資本主義的生産の歴史においては、労働日の諸制限をめぐる闘争――総資本家すなわち資本家階級と、総労働者すなわち労働者階級との間の一闘争――として現れる」(同)

実際、標準的な労働日の確立にいたるまでは、労働日を延長しようとする資本家と、労働日の短縮を求める労働者との、長い長いたたかいをへて、労働日が少しずつ短縮されていった歴史がありました。『資本論』では、この歴史について、非常に豊富な歴史的事例で跡付け、そのなかでは、「サービス残業」のような労働時間の“かじり取り”や、労働者が「過労死」させられた事実も告発しています。この部分は、同じ『資本論』でも冒頭部分と違って(^^)、読みやすい部分ですから、ぜひご一読をお勧めします。(関連する話を明日の次回で、もう少し続けます)

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コメント

長時間労働していても剰余が出ないとしたら、
それは、何が問題なんでしょうか?

労働力が必要以上に高い価格で交換されているということでしょうか?

投稿: ばぶ | 2006年6月21日 (水) 午後 10時22分

ばぶさん、コメントをいただき、ありがとうございます。
具体的に、また個別の資本の運動に即して考え始めると、なかなか難しい問題ですね。とりあえず、あらためてコメントさせていただければと思います。

投稿: かわうそ | 2006年6月25日 (日) 午後 05時02分

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