安倍官房長官が靖国参拝していた
自民党総裁選で“最有力”とされる安倍官房長官が4月、靖国神社に参拝していたことが明らかになりました。これに対して、閣内や連立与党の公明党からも批判の声が出ています。
「安倍長官『私的参拝問題ない』 靖国8月15日見送りか」(中日新聞)
安倍晋三官房長官は4日午前の記者会見で、4月の靖国神社参拝に関し「(靖国参拝が)外交・政治問題化している中、参拝したかしないか申し上げるつもりはない」と明言を避ける一方「戦没者のため手を合わせて冥福を祈り、尊崇の意を表する気持ちは持ち続けていきたい」と強調した。
政府筋は同日、安倍氏は8月15日の参拝にはこだわっていないとの見方を示した。再参拝は見送られる可能性が強い。
安倍氏は会見で、従来の政府見解を引用し「私的参拝ならば、首相、閣僚も憲法上、信教の自由が保障されている」と述べ、官房長官の立場でも私的参拝なら問題はないとの考えを強調した。
安倍氏の参拝に対し、公明党の神崎武法代表は4日午前、記者団に「かねて首相や外相、官房長官は参拝を自粛すべきだと言ってきた。極めて遺憾だ。日中、日韓関係に影響が及ぶことを心配する」と不快感を示した。
閣僚からも同日午前の記者会見で「日本とアジアの関係は極めて重要なのでもう少し慎重な方がいい」(松田岩夫科学技術担当相)など、批判的な見解が聞かれた。
複数の関係者によると、安倍氏は4月15日早朝、公用車を使わずハイヤーで靖国神社に出向き、モーニング姿で本殿に昇殿。「内閣官房長官安倍晋三」と記帳した。ポケットマネーから「玉ぐし料」も納めた。
(以下略)
靖国神社をめぐっては、自民党の総裁選でも話題になり、谷垣財務相は「在任中は参拝しない」との態度を明らかにし、麻生外相は「慎重にする」としているようです。一方、小泉首相は「参拝する人も、しない人も、個人の自由だ」といっています。また、自民党の武部幹事長は「総裁選挙の争点にすべき問題ではない」と発言しています。
しかし、この問題で問われるべきなのは、戦争で死亡した人を追悼すること一般ではないし、また、中国や韓国など外国の批判に「屈する」かどうかではないと思います。
すでに多くの方から指摘され、このブログでも以前にも書いたことがありますが、靖国神社は、日本の戦争を「正しい戦争」だったとして、この立場から戦没日本将兵を顕彰し、さらに戦後の東京裁判で断罪されたA級戦犯を「殉難者」としている施設です。この姿勢は“軍事博物館”ともいえる「遊就館」の展示を見れば一目瞭然です。私も何度か見学したことがありますが、繰り返される戦争賛美節に頭がクラクラしてきました。
ところが、日本政府の公式見解は、昨年8月15日の首相談話でも、
また、我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明するとともに、先の大戦における内外のすべての犠牲者に謹んで哀悼の意を表します。
とか、
我が国の戦後の歴史は、まさに戦争への反省を行動で示した平和の六十年であります。
などとしています。この談話も、日本の戦争全体の性格については、あいまいとさせていますが、ともかくも「植民地支配と侵略」で、アジア諸国の人々に「多大の損害と苦痛を与え」たことは認め、これに対する「痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明」しています。
また、小泉首相は昨年6月2日の衆院予算委員会で、
日本は戦争を起こしたわけですから、戦争責任は日本にある。戦争を避けられたのではないかと、あくまでも戦争を避けるような努力をしなきゃならなかったと思っております。
と答弁しています。(日本共産党・志位和夫委員長の質問に)
さらにさかのぼれば、日本はポツダム宣言を受け入れ、その後、アメリカなどとの講和条約を結んだことによって、国際社会に復帰し、国連にも加盟しています。
首相や、“首相のパートナー”的役割(「女房役」という呼び方は、適切ではないと思うので、こう書きます)を持つ官房長官という、国家を代表する立場にある人が、とくに、戦争への「反省と心からのお詫びの気持ち」を持っているはずの国家の代表者が、公然とであろうとなかろうと(隠れてであればなおさらですが)、いまだに日本の戦争を正当化し、顕彰し続ける靖国神社を参拝すること自体が核心の問題なのです。
公用車で行こうが歩いて行こうが、玉串料をポケットマネーから出そうが、お賽銭を投げ入れるだけにしようが、どんな肩書きを記帳しようが、参拝が15日であろうがなかろうが、これらは参拝にともなう、いわば“付随的”な問題です。
「外国の批判に屈するのは問題だ」などという方もいますが、この問題は、外国から批判があるかどうかにかかわりなく、過去の戦争に反省を示している日本の国のあり方として問われているのではないでしょうか。決して、一人の「♪ココロの問題」とか「参拝は個人の自由」とか、「政治問題化すべきではない」などと言ってのけられる問題ではないのであります!(このことは、地方自治体の代表者についても同様だと思うのであります!)
そして過去の戦争について、国家の代表者が「反省」を口にしながら、その舌の根も乾かぬうちに、戦争を顕彰する機関を参拝し続ける――これのどこが、「戦争への反省を行動で示した」ことになるのでしょうか。そんな国が「平和」とか「アジアとの友好」とか「国際貢献」とか主張しても、まわりの国々からどれほどの信頼をもって迎えられるでしょうか。
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