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2007年4月

2007年4月18日 (水)

伊藤・長崎市長が銃撃され死亡

バタバタ続きななかですが、言論の自由と民主主義から見て大変な事件が起きたので、一言だけ。

長崎市の伊藤一長市長が17日、ご本人の選挙事務所前で銃撃され、18日未明に亡くなりました。犯人は暴力団幹部とのことです。

長崎新聞速報「銃撃された伊藤長崎市長が死亡 死因は大量出血」

十七日夜に長崎市大黒町のJR長崎駅前にある本人の選挙事務所前で指定暴力団幹部に拳銃で撃たれ重篤だった伊藤一長市長(61)は十八日午前二時二十八分、搬送されていた同市坂本一丁目の長崎大医学部・歯学部付属病院で死亡した。

伊藤さんのご冥福をお祈りします。事件の背景はまだ分かりませんが、どのような理由であれ、こうしたテロ行為は、民主主義を掲げる社会では絶対に許されないものです。長崎市では前の市長の本島等さんも銃撃され重傷を負う事件がありました。また、最近では自民党の加藤紘一元幹事長の実家が放火された事件、民主党の石井紘基衆院議員が刺殺された事件もありました。

捜査を徹底して行い、これらの事件を絶対に起こさせないための措置を取ってほしいと思います。

【そのほかのいろいろな問題や、ツブヤキについては、また後日、落ち着いたころに】

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2007年4月 6日 (金)

東京都知事選で辛淑玉さんが発言

エッセイスト(+会社経営その他もろもろ…)の辛淑玉(シン・スゴ)さんが、「新社会党」の機関紙『週刊 新社会』3月27日号で連載しているコラム「たんこぶ」(“目の上のタンコブ”をめざすとでもいう意味なんでしょうか……?)で、東京都知事選をめぐってこんな発言をしておられます。

「これでいいのだろうか…」(『週刊 新社会』3月27日号)

辛さんは、吉田万三、黒川紀章、浅野史郎3氏についてそれぞれ、

吉田万三:「今回の候補者の中で私が一番共感しているのは吉田万三さんだ。彼が足立区長だったとき、母はその施策に喜び、ここで暮らしていて良かったと何度も語った。弱者に寄り添うことのできる人だと思った」
黒川紀章:「テレビのトーク番組で一緒になったことがある。石原都知事と蜜月関係にあると言われ、日本会議のメンバーでもあるが、彼とは多くのことで意見が一致していた。私は、ある種の好感を持って見ていた」
浅野史郎:「在日の問題などに関して関心が高いとは言えない。私からすればその距離は遠い。しかし、いま私は、浅野さんで都知事選に勝とうという動きの中に身をおいている」

とコメントしたあと、こんなことをのべています。

 周囲の人に、「どうして、吉田さんが出馬表明をしたとき、みんなで応援するというスタンスが取れなかったのか」と素朴な質問をしてみた。
 理由は二つ。まず、共産党だから。しかし、都議会の共産党は本当に石原都政の中で頑張りぬいたことを私は知っている。もう一つは、吉田さんでは勝てないからだという。
 吉田さんで勝とうと団結することは難しいことだったのだろうか。
 私にはわからない。
 そんな中、共産党の機関紙『赤旗』で浅野批判が始まったという。浅野支持者の不満は高まるばかりだ。

浅野氏を応援するなかに「身をおいている」としながら、そのなかで「吉田の応援ではだめなのか」と聞くあたり、辛さんらしさ(?)が出ていますが、「吉田さんで勝とうと団結することは難しいことだったのだろうか」という指摘は大変大事だと思います。

都知事選を前にして、良心的な発言をしている方々の間でも、「共産党と吉田氏は立候補をやめ、浅野氏に乗るべきだ」とする発言が少なからずあがりました。極端なものになると、ごていねいにバナーまでつくって、共産党を“敵を利する”とか「セクト主義」だとかと非難しているものすらも見受けられます。

しかし、私はこの種の批判には、2つの点で道理がないものだと思っています。

1つめは、辛さんものべていますが、共産党は都議会で、自民党、民主党、公明党が石原都知事のいいなりだったころから、一貫して、石原知事の数々の暴言や施政を批判してきたことです。

これに対して、民主党がこのような役割を全く果たしていなかったこと、実態は石原与党であったことは、これまでにも何度か書いてきた通りです。マスコミも、東京都のHPに掲載されている石原知事の定例記者会見を見ると、オツイショの質問が大部分で、その馬鹿馬鹿しさには、見るのも読むのも辟易するほどです。

去年の秋になって、石原知事の公費を使った豪華な海外出張や飲み食い、4男の重用などが、マスコミで大きな批判を浴び、石原知事自身も「反省」を口にせざるを得なくなりましたが、この矢を最初に放ったのは、共産党都議団でした。「日刊スポーツ」昨年12月11日付は「他の追随を許さないのが日本共産党都議団の調査だ」と書き、共産党ギライの『週刊朝日』も2月23日号で「追及する赤旗に石原慎太郎が『白旗』?」と報じたほどでした。

2つめは、吉田氏は、昨年10月から早々と立候補を表明していたことです。民主党は独自の候補者を擁立しようとしたものの、あちこちで断られ、四苦八苦していました。浅野氏は今年3月になって“後だしジャンケン”的に立候補を表明しました。

この間、“市民派”を自称したり、そう見られている方々の間から、吉田氏と共産党に対して「降りろ」という声は少なからず聞かれましたが、民主党に対して「独自候補を擁立するな」と求めた声は聞いた記憶がありません。このダブルスタンダードはいったい何なのでしょうか?

辛さんは「吉田さんで勝とうと団結することは難しいことだったのだろうか。私にはわからない」とのべておられますが、“市民派”を自称する方々は、彼女の問いかけにどう答えるのでしょうか? まあ、ご自身も問われるのではないかとは思いますが。

もし「共産党だから」団結できない、と答えるのであれば、それは「反石原」よりも「反共」を優先させる、ということになり、それこそ“利敵行為”であり、「セクト主義」であるのではないでしょうか。市町村レベルでは、東京の狛江市や、「同和」利権で苦しめられていた自治体など、共産党員が保守を含めた住民から乞われて首長に立候補し、当選したケースがいくつかあります(最近では2月に長野県御代田町で、同和行政を追及してきた共産党の前町議が現職を破って当選しました)。保守の方々にとっては、“清水の舞台から飛び降りる”ような決断だったと思いますが、「反石原」より「反共」を優先して共産党との共同を拒む方々と比べると、大変勇気のある決断だと思います。

辛さんの問いかけを、胸に手を当ててよ~く考えてみる必要があるように感じます。

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2007年4月 2日 (月)

最終盤の東京都知事選で考える

仕事でバタバタして、シュークリーム分が不足気味な状態が続くと、あっという間にひと月以上たってしまい、世は選挙の季節。東京の都知事選も最終盤になってしまっています。

石原慎太郎知事は、1回何千万円もの公費を使った海外出張や側近、知人との公費飲み食い、4男の重用など、表面化した都政私物化の問題について、「説明不足だった。反省している」と弁明し、ビラでも「少しは反省して」と書くようになりました。ゴーガン不遜だったこれまでの知事の態度を考えれば、これだけの“低姿勢”ぶり(あまり低くもありませんが)は、とても考えられませんでした。しかし、問題なのは「説明不足」とか、「説明責任を果たしていない」という、“手法”にあるのではなく、私物化そのものにあるはずなのですが(説明のうえで公費飲み食いや豪華出張をされても困るのです)、これについては、私は一言も目にも耳にもしていません。

マスメディアでさかんに持ち上げられている浅野史郎氏は、選挙の中盤までは、石原知事の私物化や数々の暴言、強権的な姿勢を批判していましたが、都政自体の中身については、あいまいな政策しか掲げていませんでした。むしろ、出馬の記者会見では「1期目はよかった」(産経新聞3月7日付)とか「基本的にはだいたい継承すべきものだ」(しんぶん赤旗3月7日付)とのべ、五輪についても“立ち止まって考える”程度だったうえ、選挙の中盤になっても「個別の政策ががらっと変わることはない」(東京新聞3月26日付インタビュー)と発言していました。ところが、それでは浮上できないと見たのか、中盤になって五輪や築地市場移転の「中止」を明言し始めました。

 政党との関係でも、当初、「政党の支援は受けない」といっていたのが、終盤近くになって、いつの間にか民主党の全面支援を受けるようになりました。このように、政策も、政党との関係も、立候補表明から選挙中盤までのころとは、がらっと変わってきています。しかし、そうすると、浅野氏は大変な矛盾を抱えてしまっていることになります。

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